甘裸哲学

哲学をするのに特別な知識は必要ありません。このブログはあなたの固定観念を破壊して、自由自在に考える力を育みます。

理解

2013-08-17 15:49:28 | 大きな哲学
完璧な理解のみを理解と呼ぶのは狂っている
そもそも人間に完璧な理解など出来るだろうか
仮に出来たとしても、それは一部の人間であり
我々が普段使っている[理解]という言葉からは程遠いものとなる
これは[真の理解]などと呼び、一般的な意味での[理解]とは区別しよう
また、自分が理解することと、他人に教えることができることとは違う
これらを区別しなければ、我々が[理解]と呼んでいる言葉は崩壊する


では、一般的に言われている[理解]とは何なのだろうか
以下に二つの側面を述べる(説の名前は私が勝手に付けました)

・段階説
理解には客観的に評価可能な段階があり
我々はテストなどによってどこまで理解しているか評価出来る
ある程度理解していれば(その程度は時と場合により異なるが)合格であり
(充分に)理解していると認められるのである
また、ある人をぱっと見た時に「女だ」と思っても
よくよく見たら「......男だった」となることがある
低レベルな理解は明らかな誤解であり
このような理解は常に基準(ある程度)を下回っているものとして処理される


・干渉黙認説(独認説)
自分にとっての理解と他人にとっての理解は全くの別物である
私から見れば彼はイケメンだが
あなたには彼がブサメンにしか見えず
一生私の考えていることが理解出来ないかもしれない
いや、理解なんてものは自分の中にしかないのだ
結局は、私の感受性によって私にとっての[理解]が決められるだけであり
私が理解したと思えば理解したのだし
私が理解していないと思えば理解していないのだ








恋愛

2013-08-17 15:49:28 | 大きな哲学
「恋愛なんて一時的な精神異常だよ」
しかし、その一言で片付けてはつまらないので
今回は、恋愛を成就させる方法まで考えていきます


まず、恋というのは、[なんか知らないけど好きだ]という感情であり
相手が持つ得体の知れない異質な何かに惹かれている状態です
単純に、好みのタイプの相手で、セックスしたいだけかもしれません

一方で、愛というのは、[○○なあなたが好きだ]という感情であり
我々はその感情を表に出し、行動で示そうとします
決意に基づき、様々な方法で愛情を表現したいと考えます

恋愛はこれらの組み合わせで成り立っているはずです


ではどうやったらモテるのかについて考えていこうと思います

男性は女性の容姿を最も重視します
流行りのファッションとかは分からなかったりするので
単純に自分が可愛いと思うかどうかで判断することが多そうです
ファッションに関する知識と観察力がある男性は当然女性にモテますし
女性の方は、単純に可愛い服装をしていた方がきっとモテます
男性に気づいてもらえないオシャレでは、あまり意味がありません

もちろん声や性格も重要です
声というのは短期間のトレーニングで簡単に変えられますし
性格の方だって、私のホームページを見ているうちに
何でもかんでも当たり前だというのは大間違いだということを思い知り
より、男性に好かれやすいものとなるでしょう

女性は若いほど男性の容姿を重視し
年を重ねるほど男性の経済力を重視するようになります
容姿は雰囲気イケメンが一番モテます
自分とは釣り合わないんじゃないかと考える必要もなく、熾烈な競争なしに手に入るイケメンっぽい存在からの愛は、一般女性の理想だと思われます
雰囲気だけのイケメンなら比較的簡単に作れるはずです
経済力は...まあ、ないなら雰囲気イケメンになって若い娘を狙ってください(苦笑)

自分の自慢話ばかりして女性の話を聞かなかったりしたら当然嫌われます
あまり見栄を張らない方がいいでしょう
女性の方は、男性を立ててあげるときっと喜んでもらえるでしょうが
あまりやりすぎると、都合の良い女として利用されて捨てられるので注意しましょう
女性は自分が大切に思われていることを常に確認したいと思っていますので
恋愛のスパイスとしての浮気や暴力は必要最小限に抑えるようにしましょう(ただ優しいだけではなく、少しくらい不安にさせるような発言をすると良い刺激となります)


同性愛などについては割愛させていただきます
出会いがない方には、SNSを利用してどんどん人脈を広げることをお勧めします
頑張ってください、健闘をお祈りします










2013-08-17 15:49:03 | 大きな哲学
動物と植物と、それから人間
僕たちは他の動物とは違うらしい
食物連鎖の頂点に君臨する我々は
他の全ての生物を食料にすることができる
※もちろん好んでワームを食べたりはしないが

このことから人間の命が最も大事だと結論付けるためには
我々は、偉人や有名人の命の方が一般人の命よりも大事だと本気で思う
あるいは、神様が最も大事なものとして人間を創られたのだと本気で思う必要がある
多分、ほとんどの人が[人間の命が最も大事である]と結論付けることになるだろう

一方で、人間も他の動物の命も同じくらい重いと考える人たちがいる
また、植物も含めて、全ての生物の命は平等だと考える人たちもいる
前者の場合は、不殺生を徹底して菜食主義者になったりするが
後者の場合は、感謝しつつ食事をするだけの一般人となるだろう


次に、人間の命について詳しく考えてみよう
トロッコ問題である(以下、wikipediaより引用)

まず前提として、以下のようなトラブル (a) が発生したものとする。
(a) 線路を走っていたトロッコの制御が不能になった。このままでは前方で作業中だった5人が猛スピードのトロッコに避ける間もなく轢き殺されてしまう。

そしてA氏が以下の状況に置かれているものとする。
(1) この時たまたまA氏は線路の分岐器のすぐ側にいた。A氏がトロッコの進路を切り替えれば5人は確実に助かる。しかしその別路線でもB氏が1人で作業しており、5人の代わりにB氏がトロッコに轢かれて確実に死ぬ。A氏はトロッコを別路線に引き込むべきか?

なお、A氏は上述の手段以外では助けることができないものとする。また法的な責任は問われず、道徳的な見解だけが問題にされている。あなたは道徳的に見て「許される」か、「許されない」かで答えるものとする。

つまり単純に「5人を助ける為に他の1人を殺してもよいか」という問題である。功利主義に基づくなら一人を犠牲にして五人を助けるべきである。しかし義務論に従えば、誰かを他の目的のために利用すべきではなく、何もするべきではない。
 
では次のような派生問題ではどうだろうか。A氏はやはり(a)の状態にあるが、(1)ではなく次の(2)の状況に置かれている。
(2) A氏は線路の上にある橋に立っており、A氏の横にC氏がいる。C氏はかなり体重があり、もし彼を線路上につき落として障害物にすればトロッコは確実に止まり5人は助かる。だがそうするとC氏がトロッコに轢かれて死ぬのも確実である。C氏は状況に気づいておらず自らは何も行動しないが、A氏に対し警戒もしていないので突き落とすのに失敗するおそれは無い。C氏をつき落とすべきか?

前述の問題と同様、A氏にはつき落とすかつき落とさないかの選択肢以外は無いものとする。C氏ほど体重の無いA氏が自ら飛び降りてもトロッコを止められず、またその事実をA氏は理解している。

功利主義に基づけば、トロッコを分岐させることも、一人を突き落として脱線させることも一人を積極的に死に追いやり五人を助けるという点で等しい。しかし多くの人が、1番目の質問では一人を犠牲にすることは許されると答えるのに対し、2番目の質問では一人を犠牲にすることは許されないと答える。この二つの質問で異なる点は、最初の質問では行為者の行動自体は「分岐の切り替え」に過ぎず、一人の死は(たとえ結果を承知の上でも)その意図の直接の結果ではなく副次的な出来事(つまり巻き添え)と考えることが可能であるのに対し、次の質問でははっきりと「狙ってC氏をトロッコに激突させる」という行動をとっており、行為者の直接の意図と行動によって死ぬということである。(以上、wikipediaより引用)


※法的責任の問われる現実世界では
複数人を見殺しにした場合は
絶対に無罪で
一人を殺して複数人を助けた場合は
殺した一人の遺族に訴えられるかもしれませんね


次は臓器くじについて考えてみましょう
くじで選ばれた健康な一人を殺して
その臓器で
臓器移植しなければ助からない
複数人を助けるべきか
という問題です

本質的には同じ問題でしょう?

最後に人口削減問題について考えてみましょう
人類は食料やエネルギーの問題を抱えています
科学の発展により
人工肉や再生可能エネルギーが少しずつ開発されていますが
人口が指数関数的に増加(超急激に増加)しており
このままでは増えた人類の大半が
食料不足や冷暖房不能により
苦しみながら死滅してしまいます
我々は選択を迫られています
苦しみながら滅びゆく数百億人の人類を見殺しにするか
数十億人の人々を殺して解決するか

良かったらじっくり考えてみてくださいね

存在

2013-08-17 15:48:41 | 大きな哲学
私は存在しているのか?
「......」(一時の静寂)
君が見えるよ
でもホログラムかもしれない
とりあえず触らせてもらっていいかな
※セクハラはやめましょう

僕たちがいるのは同じ世界なのか?
「たぶん(⌒▽⌒)」
君も僕も同じ物を見れるし触れる
こうやって会話も矛盾なく成立してるし
きっと同じ世界にいるはずだよ(⌒▽⌒)
ところで僕の彼女可愛いよね!!?
「はぁ? 何寝ぼけたこと言ってんのお前www」
......君とは住む世界が違うようだ。さようなら


それで、物の本質というのは一体どこに存在するのだろうか?
(目の前に木があったとして、木という概念はどこに存在するのかという問い)

選択肢1「イデア界だよ」
我々が見ている物体は全てイデアの影だ
完璧な存在がイデア界に存在して
我々はこの不完全な世界で何かを見たとき
イデア界にある完璧なイメージ(イデア)を想起するのさ
我々は元々イデア界の住人
この世界には旅行目的で来たのだよ...(痛いので以下省略)

選択肢2 「それは物の内側に備わっている」
人間の本質として魂があるのは明確だ
しかし、これは人間の身体から抜け出て勝手に移動したりはしない
幽体離脱とか頭のおかしいこと言ってる奴は皆死んだほうがいいよ
まあ、確かに[砂山の砂を一粒ずつ除去していき、どこから砂山と呼べなくなるのか]とか、[シャーペンを分解していくと、どこまで分解した時点でシャーペンと呼べなくなるのか]とか[船の壊れた部分を修理していき、どこまで修理すると元の船とは異なる船だと言えるのか(テセウスの船)]とか考えたら面倒くさいことになるけど、とにかく本質は中にあるの!...(痛いので以下省略)

完璧であることは善いことである
では、悪のイデアとは何か、など
様々な問題が発生してしまうので
これら2つの選択肢は全く以て痛いだけですね
本質がイデア界(物の外)にあっても物の中(境界含む)にあってもうまく説明できない
他に考えられる選択肢は2つくらいかな
1つは、本質なんてどこにもないという選択肢
もう1つは、本質は外にあると同時に中にもあるという選択肢
なんだか、光は粒子であると同時に波動であるという有名事実と同じように聞こえますね。まあ、何にせよ、矛盾は絶対に避けられません。そのことはゲーテルさんが証明してくれちゃいましたから。






人間

2013-08-17 15:48:18 | 大きな哲学
どうして僕は今ここにいるのだろうか?
「理由なんてないよ」(即答)
親(人間)が子作りしたからだとか
(人間の想像上の)神様が授けてくださっただとか
我々が理由として答えるのは全て人為的なものだ

どうして人を殺してはいけないのか?
「理由なんてないよ」(即答)
(人間が決めた)そういうルールだから
(人間の想像上の)自然法だから
そう、根源的な理由などありはしないのだ


人間に心はあるのか?
「そんなの分かる訳ないよ」(即答)
自分に心があることを証明する方法などありはしない
ただ、自分に心があるのだから、きっと他の全ての人間にも心があるに違いないというとんでもない理論が一般論となっているのが現実だ
しかし哲学の世界では、そんなとんでもない理論は通用しないので
心を持たない人間のことを哲学的ゾンビと呼んだりする
このゾンビは、私のようなフリーホラーゲーム製作者がよくゲームに登場させる生きる屍とは違い、ちゃんと理性的に行動する。心があるように見えるが、実は心がない人間もどきなのである。もちろん身体の構造などは普通の人間と全く同じで、ただ心がないのだ。そして、この世界で心を持った人間は自分だけであるという考えを独我論という。更には、自分にすら心がないという考えがあり、これを無主体論という。文字通り、誰にも心がないという考えなのだ。
「心がある? それは気のせいだよ」

私が見ている赤色と君が見ている赤色は同じ赤色か?
「それはない。少なくとも全く同じ色に見えることはないだろう」(即答)
我々は目で特定の波長の光を色として認識しているだけである
人によって色を認識するための錐体細胞(RGB{レッド、グリーン、ブルー}の三種類)の数やそのバランス、配置が異なるので、同じ色が見えているとは考えにくいのだ
普通の哲学者なら、ここでクオリアの話をして
この赤色が、君には私にとっての青色に見えているかもしれない
などと言い出して、このあと延々とクオリアについて語るのかもしれない
しかし、私にはそれがあまり重要なことだとは思えないので
今回の記事はこれで終わることにする(興味のある方は自分で調べてみてね)